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私とオネノプの3年ちょっとの軌跡

  オネノプ単コンが終わって、メンバーの話を聞いて、言葉にしたかった気持ち、今までの思い出が溢れたので自己満でつらつらダラダラ書きます。かなり長い私の出会いからリバースコンまでのピュズライフの振り返りです。

( 2021年12月13日執筆)

 

私がオネノプを知ったのは、確かデビュー日から1週間後ぐらいの日で、他のKPOPアイドルの動画を見ている時、たまたまON/OFF のデビューステージがYouTubeのオススメに出てきて、名前も知らないけどただ何となくタップして視聴した。 1回聞いただけですぐに虜になった。とにかくその時はON/OFFの軽快なサウンドの良さとミンギュンの歌声に惹き付けられたのを覚えている。「何だこの素晴らしい音楽と歌声は…何だこのグループは…」と衝撃を受けて、急いでkpop好きの友達に「このグループ凄い好きだ!聴いてみて!」ってURLを付けてLINEを送った。そしてその友達もすごく良い!って言ってくれて、私はその友達と共にオネノプにハマった。

  オネノプを見るようになって、WM事務所のアットホームな空気感、新人グルの初々しさを味わった。そして知れば知るほど彼らの持つ素朴さに心が暖かくなった。その時私はラウンくんペンだった。あの時、この世に星の数ほどあるアイドルグループの中でオネノプに出会った時は、誰も知らない奥深く眠る宝を探し当てたような感覚だった。このグループは、この子達は宝石の原石だ!って思った。

 

  その後、ミクナが始まった。当時私はハマったと言いながらもTwitterでファンアカウントを持っていなかった。放送を見たりミクナの放送直後にTwitterで呟いている人のを見てなんとなく後追いしてメンバーの状況を確認するというほぼ外野に近い立ち位置にいた。ミクナの内容は初回から見てるこちらもメンタルをやられるような感じで、オネノプメンバーや他の参加者の子達が涙を流す姿がトラウマのように脳裏にこびりついて離れない。ミクナのプログラムのあれこれや健闘したメンバー、結果など言いたいことはたくさんあるがここでは割愛する。ミクナを通してメンバーの仲の良さや今まで見せてこなかった新たな一面を見て、惹かれて、いろいろあり私はスンジュンにも堕ちてしまった。 そこから私はずっとラウンとスンジュンペンだ。実の兄のようにラウンくんを可愛がるスンジュンが大好きだった

 

  オネノプを好きになってから、本当に楽しくてしょうがなかった。当時私は同時に大きい事務所のグループのオタクもしていた。大きい事務所のグループだからこそ精神的に疲れることがたまにあった。でもオネノプは、そのファンを疲れさせるということが全く無かった。疲れや飽き、落胆を全く感じなかった。メンバーがお互いを尊重し合っていて、ファンにこれでもかというぐらいサービスしてくれる。ファンが彼らに愛と応援を捧げたら、それを何十倍にもして返そうと奮闘してくれるのが彼ら。そして何よりもマンネラウンくんが本当に本当に他のメンバーから常に大切にされて愛されている光景、年下のユウトが頼りにされている様子は嬉しかった。ボーイズグループあるあるのメンバー同士のイチャつきなどは滅多にない。だからこそ見える信頼感とかそういうものを感じるグループだと思う。

 

  そうして、Complete〜We Must Loveまでオネノプのオタク活動ををゆるゆる楽しんだ。Completeのカムバ前にようやくTwitterのオネノプ用アカウントも作り、充実したオタクライフをしていた。日本デビューも迎え、イルデコンサートやリリイベなど現場に参加して応援した。イル活で私は、日本での活動をこんなに意欲的に、楽しそうにしてくれる韓国アイドルは初めてだと思った。 たとえほんの少しずつだとしても増えていくファンの数を見て喜んだり、カムバの度に名曲グルメや隠れた名曲と肩書きが付くオネノプのファンでいられるのが誇らしかった。 彼らのことを知って欲しくて周囲の人に布教した。 オネノプを初めて見聞きした友人が「どれも良い曲だし、ステージを見るだけでなんとなく、凄くいい子たちっていうのが伝わってくる」と言ってくれた時には飛び上がるぐらいの喜びが込み上げた。こんなに素敵な褒め言葉は無いなと今でも思う。

アジアコンサートでは、その日がラウンくんと会えた最後の日になるとは知らずに隣の席に座った初対面の同ペンのお姉さんとオネノプの良さ、言葉に出来ないけれど感じるオネノプの安心感を語り合いながら会場からから駅まで帰った。いい思い出だった。ハイタッチしたラウンくんの手はとても暖かくて、優しい微笑みのその温度が忘れられない。

 

そうやってただ、のんびり楽しいオタクをしていた。8月、ラウンくんの誕生日を迎え、センイルカフェに訪れるなどして国内で誕生日を楽しんでいた。数日後、急に、本当に急にニュースが飛び込んできた。 塾の休憩時間にTwitterを開いたら1番上に彼の脱退の報道があった。頭が真っ白になった。とても疲れてお腹が空いておにぎりを食べようとしていたけれど、それすら忘れて必死になって何があったのか調べた。絶対に何かの嘘だと思った。 だって、カムバが決まってティーザーも1つ出てる状態で、3.4日前にラウンくんはTwitterにメッセージ付きでセルカをあげてるし、メンバーは報道が出る直前も普通にいつも通りのVライブをしていたから。あんなに誰よりも何よりも最優先で愛されていたラウンくんが、まさかラウンくんに限ってそんなはずはない。 しかし、最後まで公式からは個人的な理由としか述べられなかった。その時は夕方で、本日をもって脱退だったからピュズとラウンくんとの関係にはもうあと6時間程度しか残されていなかった。あの時の絶望感は今でも忘れられない。この残された数時間、フォロワーを含めたピュズみんなの「何でもいいから、何を言っても受け止めるから頼むから理由を教えて欲しい」という思いで埋め尽くされたTwitterのTLを私は藁にもすがる思いで画面をスクロールし続けていた。結局公式からは彼のことはなにも言及されなかった。空っぽの気持ちで過ごした夜。脱退理由が分からないから、彼の脱退ことはなんとも言及出来ない。

 ラウンくんがサイン会で言っていた、「僕は顔を覚えるのが得意なんです。だから、今日会った皆さんのことはずっと覚えています」(ニュアンス)という言葉が大好きだった。本当に1度会ったファンの顔をしっかり記憶していて、愛嬌に溢れ、ファンへの関心を欠かさない、勉強熱心なプロのアイドルだった。 アイドルの中のアイドルだった。 脱退報道がありみんな動揺している中、リーダー2人がコンカで手紙を書いてくれた。彼らも明らかに急で動揺していながらもファンに謝罪するような文だった。スンジュンの「アイドルという夢を叶えたけれど、楽しいことばかりではないというのを思い知った」(ニュアンス)と書かれたのを見た時胸が張り裂けそうだった。
1番幸せであって欲しい人が目の前で打ちのめされているのを見ているような感覚だった。

 次の日学校でオネノプのことは詳しくないが私がピュズであることを知っている友達が心配して声をかけてくれた。 その時、実は嬉しかった。 なぜかと言うと、ラウンくんの脱退報道はオネノプのファンの間やオネノプを少し知ってる人が騒いでいるだけであまり大きなニュースにならなかったように思った。気持ちが落ち着いてから私はそれにとてもショックを受けた。こんなに一生懸命アイドルを全うしていた、真のアイドルのような人だったのに、去る時はこんなにも静かで話題にされないものなのか、あんなにキラキラしていたラウンくんがこんな形で一瞬にして静かに終わってしまうなんて…割に合わないじゃないか。そういう気持ちだった。それが私がオネノプの知名度が低いことをいちばん悔しく思った時だ。だから身内だったけれど話題に出してくれる人がいて少し嬉しかった。でも私はこの時まだ混乱して、脱退の事実を全ては受け止められてなかったのだと思う。

  カムバは少し延期になり、記憶が正しければ脱退の報道の1週間ちょっと後、ロシアで行われたライブが6人の初舞台だった。そこで、ラウンくんがいた場所を完璧にカバーするメンバーらを見て現実を思い知った。ああ、もう本当にあの子の居場所は無いんだと。脱退を受け止めたのはこのロシアのステージを見た時だったと思う。

 

  その後Whyのカムバが進行された。 脱退後、残されたメンバーはみんな何事もないかのように振舞っていた。でもWhy のショーケースで1人ずつコメントする時イーションとスンジュンが涙を流した。泣いて当たり前に決まってる。チームの中心的なメンバーが居なくなって1ヶ月しないうちにカムバしてるのにアイドルだから笑顔だけ見せないといけない日々を送っていたんだから。この時、脱退直後にカムバを迎えたメンバーのやるせない思い、恐れ、不安に触れて、普段楽しく振舞ってくれていた裏に秘めていた胸の内を垣間見れたような気がして少し安心した。メンバーも時間が経ったとしてもまだ脱退がつらいということを知れたのはラウンペンだった私にとって自分勝手ながらも、よかったという気持ちがあったと思う。メンバーが脱退して初のカムバだから不安なのは当たり前で、それに加えてデビューしてから何年も1位候補にすら上がらない状況で、彼らは不安で押しつぶされそうだろうにピュズに対して明るく楽しく接してくれる状況は歯がゆかった。無理に笑ってる姿に胸が痛んだ。力になりたかったしちゃんと今もこれからもピュズがついてるって安心して欲しかった。この時期スンジュンが50kg台に痩せた時は、ビジュアルのかっこよさはあったがやっぱり心配した。活動の成績は、少し順位こそ上がっているが1位候補に上がらず、音楽番組で毎日他のグループが1位をとって喜ぶ後ろで微笑みながら拍手をしている彼らの姿はいつ見ても寂しかった。そうしていつものようにwhyの活動も終わり、オネノプは空白期間を迎えたた。もともとオネノプはカムバペースが遅かったけれど、ラウンくんがいない空白期間はいつもより長く感じた。

 

そろそろさすがにカムバする頃かという時にRoad to Kingdomの出演が決まった。 当時の心境はただ純粋に怖かった。順位を争う番組はミクナでもう散々な目に合ってる。しかもMネが絡むとろくなことが起きないだろうと思った。彼らにもう試練を与えないで欲しいという気持ちだった。だがいざ番組の進行を見ていると、他のグループとバチバチするよりも互いにリアクションし合って仲良く和気あいあいという感じだったから心底安心した。(評価では争うけども) ロトゥキンでのオネノプの活躍は語り尽くせない素晴らしいものでピュズとして誇らしかった。とにかく誇らしかった。「多くの人に彼の存在が、彼らの曲が見つかってくれ」という祈りを込めて視聴、投票をしていた。祈りが通じたのか、番組放送後に爆発的にファンが増えた。 ロトゥキンの頃からメンバーは目に見えて生き生きしていたように感じた。今振り返れば、あの時あの番組に出てよかったなあ、ターニングポイントになったなあと思う。それでもまだロトゥキン後のカムバということで注目されたはずのSukhumvit Swimmingでは1位を取れなかった。 でも、明らかに今までとファンの勢いが違う。今までゆっくり歩きで1位に向かっていたようだったのが急に特急列車に乗ったかのようだ。ファンの数が急増したことに加えてオネノプの応援方法を流すアカウントさんが出来たり音楽成績貢献に活動的なファンが顕著になったり、1位を狙いにいく本気の体制になったように感じた。

 

次の Beautiful Beautifulの活動では悲願の1位を達成した。 今回のオネノプの音楽は前向きで、立ち止まってしまいそうな人の手を握って離さないでいてくれるような、心の内側から活力がわいてくるような曲だった。誰もおいてけぼりにしない、そんな歌が似合うのは、そんな歌に説得力があるのはオネノプのストーリーがあるからだと思う。 今まで様々なことを乗り越えた彼らが「人生は、夢見て生きる僕らは、美しい芸術だ」と歌い、笑顔で親指を立ててくれる姿に心を打たれた。スンジュンの「僕がなりたいのはNo1じゃなくてOnly1」というフレーズは、オネノプのオネノプにしか出来ない音楽を作り続けてきたファンヒョン(専属の作詞作曲PD)の思いが込められているし、この歌詞が好きだと言っていたメンバー思いもこのフレーズに込められていて大好きな歌詞だ。この3年ちょっと、私はずっとオネノプと一緒だったから込み上げるものがあった。彼らはこの1位はピュズのものだって言っていたが、その1位はオネノプあなたたちの物です。他でもないあなたたちの努力の証拠ですよ。1位を取れて、「今までたくさん辛かったこと、悲しかったことがあったと思うけど、ずっとアイドルになってくれて、続けてくれてありがとう」という気持ちをどうしても伝えたかったから勇気を出して活動期のヨントンに参加した。接触イベントに苦手意識があり、今まで日本の現場があっても接触イベだけは避けてきた(アジアコンの終演後ハイタッチだけは逃れられなかった) から直接話す決断をした自分に驚いたけど、それでも絶対に今伝えなきゃダメだと思った。最愛のラウンくんの脱退で、「推しは推せる時に推せ」は本当にその通りだと身をもって教わったし彼に脱退前に最後に会えるチャンスだった日本の接触有りのイベントに参加しないで終わってしまったことに後悔しているから、とにかくもう絶対に後悔したくないっていう思いでいっぱいだった。ラウンくんの経験が私の背中を押してくれたのかもしれない。 たくさんのピュズとTwitterで繋がって、無事にヨントンで思いを伝えられて、それからはもうずっっっと幸せいっぱいの期間だった。毎日Vライブもして(オネノプはこの1年だけで450回以上Vライブをした記録がある)常にファンとコミュニケーションを取ってくれて福利厚生が凄いアイドルという肩書きは本当にその通りだった。

 

突然兵役発表された日、11月2日は、入隊決定の文字を読んで秒で涙が出た。夜通し泣いて、夜遅くに泣き疲れて寝て、朝起きて1番にまた泣いた。 今までの兵役はみんな行くものだしそういう時期が来たのかと寂しい程度にしか思っていなかった。でもオネノプの兵役は心の底から行って欲しくないって思ったし喪失感で心に穴が空いたし絶対無理だけど次朝起きたらどうにかなっていて欲しいって願った。でも、辛いからこそ自分は自分が思っている以上にちゃんとオネノプの事が好きなんだって再確認出来た。自分がオネノプのこと心から大好きだって、1秒でも止まって欲しくないって分かったから兵役を受け止めて乗り越える勇気が湧いた。
ピュズのために韓国アイドルで初めて一斉入隊をするという大きすぎる決断に、ピュズは本当に愛されてるなと本当に心の底から感じて、その嬉しさでも涙が出た。1年半、日本人メンバーを1人残して全員兵役に行くというのは前例が無く、未来への不安も心配もたくさんあっただろうと思う。それでもメンバー全員で長い間しっかり話し合って決めたと胸を張って言う彼らに、日本人のゆうとへの信頼と、ゆうとから兵役に行くメンバーたちへの信頼と、そして1年半活動をストップしても変わらず傍にいてくれるだろうというピュズへの信頼があったからこそだと思う。

スンジュンの「 多くのFUSEたちが残念がると思いますが、ONF6人で一緒にやりたいという気持ち、もっと長く一緒に歌いたいという気持ちで、僕たちは一緒に入隊することにしました」という言葉、なんて頼もしいのだろうと思った。みんな前しか見ていない。光の方に6人全員の足が向いていることが本当に嬉しかった。

後の兵役前の単コンで明らかになるが、毎日のようにbubbleを百件送ってきたり一日3回Vliveをしたりしてたのは、暇だったのではなく、もう一斉兵役入隊を決断していたから行く前にファンと会話する時間を出来るだけ沢山作ろうとしてくれていたからだと知った。

 

この文章を書くきっかけになったリバースコン、(単独コン)でのメンバーのコメントでは私のオネノプとの今までの記憶が脳裏を駆け巡った。ミンギュンが「逃げ出したくなることもあった」って言った時、オネノプに何度も立ちはばかった大きな壁を思い出した。ファンに見えないところでたくさん涙を流し悩んで苦しんだだろうに、そんな素振り決して見せず微笑む彼らが容易に目に浮かんだ。 今から振り返れば着実に成長し続けた階段ドルであるけど、知名度が低い時間が長かったあの時間は彼らにとって辛い時間でもあったんだと思うと切なかった。 彼らはいつもピュズのおかげと言ってくれるが、どうにかもっともっと力になりたかったって思う。 スンジュンはオネノプのストーリーを振り返ってデビューした時の不安やデビュー後くすぶっていた時期について胸の内を明かしてくれた。 「Sukhumvit Swimming の活動の時これが最後かもしれないって思った」「オネノプというグループがいるということだけでも知って欲しかった」という言葉を聞いた時、心臓がちぎれるかと思ったぐらい苦しかった。あの優しくてふわりとした微笑みを絶やさない彼が、笑顔の裏でそこまで追い詰められていたということを初めて知った。 当時楽観的に次は1位を取れるよ!ファンもだんだん増えてるし!と呑気に言っていた自分が情けなくなった。 それでも、その苦しい時間を乗り越えて今がある。紆余曲折してきたからこそ今、胸を張ってオネノプの音楽を表現する彼らが私は尊くて仕方がない。 今までの彼らの歩みのストーリー全てが何にも変えられない尊い価値であり、オネノプの今も過去も未来も全てが大好きだって思う。オネノプの父であるファンヒョンさん(専属の作詞作曲家PD)が言った「真心は裏切らないを体現したグループがオネノプだ」という言葉が大好きだ。どんなにくすぶっていたって、互いに鼓舞し合ってみんなが歌手であり続けることを望み、まっすぐ前を向き続けたその軌跡は、目に見えない絆でファンとオネノプを確かに繋いでいた。人生でオネノプという名前の宝物に会えたことが私の最大の美点だ。
それと私はピュズの雰囲気が好きだ。他のグループのファンダムに居ても感じられなかった温かさを、3年前からずっと感じてた。 オネノプの優しさに包まれて育ったピュズたちみんな前だけ向いてどんな時も幸せでいよう。ピュズみんなでこれからのオネノプと共に進んで行こう。2年後の夏に兵役から帰ってくる大好きなオネノプをみんなで迎えよう。